信州松代観光情報ホームページ


 
ふるさと松代人物館

わたしたちのふるさと松代からは、日本近代の発展に尽くした数多くの人物が育っています。2010松代イヤー実行委員会では、NPO法人夢空間の協力を得て、松代の風土を愛し、新たな世界を切り拓いていった先人たちをイラスト画によって紹介。その足跡を尋ね、学びながら、新たな明日を創造していくための企画を実施。今年度はあらたに5人の先人たちを顕彰する案内看板を作成し、それぞれのゆかりの郷地に立てさせていたださました。今後さらに多くの先人たちを発掘顕彰し、まちづくり、人づくりのために役立たせていきたいと考えています。
2010松代イヤー実行委員会

ふるさと松代人物館のパンフレットの閲覧及びダウンロード(PDF)のページへ




童謡作詞家
「お猿のかごや」「みてござる」

山上武夫
やまがみたけお

大正6年(1917)~昭和62年(1987)

松代商業学校卒業後上京。 NHK「子どものテキスト」に童謡を応募し入選。同郷の草川信に励まされ、同じく同業の海沼実とコンビを組み活躍。「お猿のかごや」や「見てござる」など今日に歌い継がれる楽しい童謡を残した。




難問続出の維新期に
藩政を担った松代藩学者

山寺常山
やまでらじょうざん

文化4年(1807)~明治11年(1878)

18歳で近習に抜擢。兵学、経学を学び、藩士に兵学講義を行う。寺社奉行・郡奉行を兼務、弘化の善光寺大地震では昼夜を分かたず救済復旧に当たった。維新後の「午札騒動」では、政務を委ねられ、民心を鎮めた。松代三山のひとり。




多くの名判決を残した
人情味豊かな大審院長

横田秀夫
よこたひでお

文久2年(1862)~昭和13年(1938)

大正12年(1923)、大審院長(現最高裁判所長官)となり、「虎ノ門事件」「狸と狢の裁判」「一厘事件」など人情味あふれる裁判を展開、「現代の大岡裁き」と賞賛される名判決を残した。『富岡日記』の和田英は姉、長男正俊は最高裁長官となった。




江戸狂歌角力番付東の大関
藩政風刺の狂歌師

蘭薫亭薫
らんくんていかおる

寛政2年(1790)~明治3年(1870)

狂歌四天王の宿屋飯盛他に師事。大田蜀山人、十返合一九とも交際、文政2年(1819)、江戸両国狂歌角力番付の東大関となる。藩政風刺で松代を追われ各地を放浪。許されて帰郷後、狂歌を教え、数百人の門人を擁した。本名間庭義祐。




六工社で繰糸技術を指導
『富岡日記』著者


和田 英
わだえい

安政4年(1857)~昭和4年(1929)

明治の先進的女性の記録『富岡日記』の筆者。旧姓横田。官営富岡製糸場で伝習工女として学び、技術を習得。松代に戻り、日本初の民間蒸気器械製糸工場「六工社」で器械製糸技術を指導した。弟秀雄は大審院長、謙次郎は鉄道大臣になっている。




西洋医学隆盛期に
漢方治療を志した信念の医師

和田啓十郎
わだけいじゅうろう

明治5年(1872)~大正5年(1916)

少年期、洋学医が匙を投げた病人が漢方医術で完治したことに感動し、その生涯を漢方医術の探求に尽くした。東京で学び、帰郷後は稲里村(現長野市稲里)で開業。山村の一草医として生き、「医界之鉄椎(鉄槌)』を上梓、漢方復活運動に心血を注いだ。



サイト内の検索
観光&行事予定 カレンダー
前月2017年 7月翌月
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
<今日>
松代文化財ボランティアの会
旧白井家表門での湯茶の接待、町内ガイド、真田宝物館ほか
文化施設での展示説明等を行っています。ガイド予約も受け付けます。
お問合わせ/
TEL・FAX 026-278-9010(受付10:00~15:00)

日本100名城スタンプ
日本100名城スタンプの設置場所は真田邸の受付です。

象山地下壕の休みについて
象山地下壕は、毎月第3火曜日はお休みです。