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ゲストハウス 布袋屋

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源関神社

源関神社本殿及び棟札 長野市指定建造物 昭和44年9月10日指定 所在地 長野市松代町豊栄 所有者 源関神社  本殿は覆屋の中にあって、建物の形式は一間社流造りである。  屋根は板葺きで母屋は丸柱、向拝の柱は面取の角柱が用いられている。母屋の柱上に舟肘木を、妻飾りは豕扠首(いのこさす)で正面に幣軸(へいじく)付板扉をつけ、三方を板壁として切目(きりめ)縁を廻している。 向拝は大面取角柱で木鼻付頭貫(かしらぬき)を通し、組者は連れ三斗。母屋柱と向拝柱を繋虹梁(つなぎこうりょう)で結び正面に三段の木階をつけている。  屋根は補修されているが、舟肘木等の形が古様で、頭貫の木鼻にある花文の飾りは珍しい。  棟札は一枚で、応永12(1405)関屋市兵衛が本願主となり、大工田中新左衛門以下の人名が書き連ねてあって、建立の趣旨を明らかにしている。  棟札の大きさは、長さ1.06メートル、上幅17.2センチメートルある。 昭和62年3月 長野市教育委員会



高義亭(こうぎてい) 象山神社内

もと松代藩主家老望月主水貫恕の下屋敷にあった建物である。安政元年(1854)佐久間象山は吉田松陰の渡航事件に連座し、国元蟄居を命ぜられ望月氏の屋敷聚遠楼に住んでいたが、来客があるとしばしばこの高義亭の2階の7畳半の間で応対し、国家の時勢を論じたという由緒深い建物である。  下屋根も瓦葺きであるが、一部鉄板を用い、東に切妻屋根を出す。  一階は、玄関(2坪)・取り次ぎの間(6畳)・次の間(9畳)・客間(10畳)・茶の間(6畳)・勝手(4畳半)と、西に納屋を造り出す。玄関は土間と式台からなり、次の間は南に明障子、外に縁を付す。取り次ぎの間は襖で仕切り、外側に明障子を立てて縁を回す。取り次ぎの間から北に通る廊下で客間・茶の間・勝手に通じ、茶の間わきに階段を付けて二階の昇り口とする。  二階は、階段を昇ったところに踊り場、南に控えの間、東に6畳間、北に置床付き7畳半の間がある。ここが象山が来客と対応した間である。     明治以後住人が替わり、原形も一部変更した所もあったが、現在地に移築の際、当時の構造に復元したものである。 平成7年2月10日 長野市教育委員会 上記の文章は、右の写真にある立て看板の説明文です。 誤字・脱字以外のお問い合わせにつきましては、長野市教育委員会に直接お問い合わせください。 よろしくお願いします。



妻女山 展望台

激突 川中島  1561 (永禄4)年9月10日(現在の暦では10月28日)、八幡原を中心とする川中島平の広い範囲で武田・上杉両軍による4回目の戦が行われた。  上杉軍は8月16日に13,000の本隊を率いて海津城を眼下に見ながらここ妻女山に着陣した。 一方、海津城を守る高坂弾正からの援軍要請をうけた武田軍は20,000の兵を率いて8月29日に海津城に入った。両軍とも過去3回にない多数の兵を動員し決戦の準備に臨んだ。  武田軍は山本勘助の進言により兵を二手に分け、主力である12,000の兵を夜中妻女山へ向かわせ、残り8,000の信玄の本隊が八幡原でこれを迎え撃つ作戦をとった。いわゆる「きつつき戦法」と呼ばれるものである。これを察知した上杉軍は夜中に山を下り、千曲川の雨の宮の渡しや犀川を渡って川中島平に出て夜明けを待った。この夜は霧が深く、夜明けとともに霧が晴れた瞬間、両軍がすぐ間近に遭遇することになった。上杉軍の予期せぬ「車がかりの戦法」に劣勢となった武田軍は苦戦し、信玄の弟信繁、諸角豊後守、山本勘助らが戦死した。その後、妻女山からの別働隊の参戦によって形勢は逆転し、上杉方も多くの戦死者を出し退却した。  直接対決を避けてきた信玄がこの戦いで多くの犠牲をはらいながらも上杉軍を押し返したことで川中島一帯は信玄の支配下となり、上杉を頼った村上義清、高梨政頼は信濃川中島への復帰の願いを断たれる結果となった。



佐久間象山先生の墓

象山は文化8年(1811年)2月11日松代藩に生まれ石台元年(1864年) 京都にて兇刃にたおれる。蓮乗寺は日蓮宗の名刹で日蓮が佐渡へ流 された時、立寄られー泊せられたと伝えられる。又、佐久間家累代の 菩提寺であり大正11年、京都妙心寺よりこの菩提寺へ分葬する。 猶父一学並に一子恪二郎等の墓もある。









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