信州松代観光情報ホームページ


 

史跡・博物館等

上杉謙信槍尻の泉

 永禄4年(1561)川中島合戦の時、妻女山に陣を置いた上杉謙信は、戦いの勝利を神仏に祈願するため、時折、麓の会津比売神社(神社内には「謙信鞍掛の松」がある)や岩野村にあった聖観音菩薩像(伝行基[ぎょうき]作)に赴いていた、  ある日のこと、帰途についた謙信は、あまりにのどが渇いたので、馬から降り家来の直江山城守に、「槍をかせ!」と命じ「妻女におわすよろずの神よ、我に清き水を与え給え!」と池に伏し一心に祈り、そしておもむろに立ち上がって空高く槍を構え、「えい!やっ!」と地面に槍の石突き(槍の柄の先端で地面に立てる部分)で強く突いたところ、そこから勢いよくきれいな水が湧き出Lたのである。 「妻女山に伝わる民話」から (文責・青木貞元) 「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会



恵明寺

黄檗宗(おうばくしゅう)(禅宗) 象山 恵明禅寺 創建 延宝5年6月(1677) 開基 第3代松代藩主真田伊豆守幸道公(1657年-1727年) 開山 黄檗宗二代庵禅師(1611年-1684年・中国僧) 本山 黄檗山萬福寺(京都府宇治市) 開創 寛文元年(1661年) 開山 隠元禅師(1592年-1673年・中国僧) 豊姫(あんず姫・1659年-1733年)の墓所 伊予(愛媛県)宇和島藩主伊進宗利公(仙台藩祖伊達政宗公の孫)の息女で名を「豊」と言う 延宝元年7月26日(1673年)15歳にして幸道公に嫁ぐ 豊姫が実家より「鉢植えのあんず」を持参し愛賞されていたのが善光寺平に「あんずの樹」が来た始めであると言われている。現在、更埴市(現・千曲市)森のあんずは有名 遺骨は幸道公の開基寺であることから当寺に葬る 今も当時から三代目にあたる「あんずの樹」が境内に残っている



煙雨亭(えんうてい) 象山神社内

茶室 煙雨亭(えんうてい)  佐久間象山は、松代における9年の蟄居(ちっきょ)の後、元治元年(1864)3月幕府の招きに応じて京都に上り、しばらくして三条木屋町の鴨川べりの一戸構えに移った。その家は平屋で広く、茶室までも備わり、鴨川を隔てて東山・八坂の塔なども見える、眺めの良い家であった。象山は雨に煙る情緒豊かな風情を愛で、煙雨楼と名づけた。同年7月11日、攘夷論者のため非業の最期を迎える迄の僅か2ヶ月の住居であった。  この茶室は、その煙雨楼内の茶室で、昭和40年頃解体の折、京都象山会の高岡謙次氏がその資材を譲り受け保管されていた。  昭和56年にこの資材をご寄贈いただき、象山の往時を偲び後世に伝えるため煙雨亭と名づけ、象山ゆかりの地に同年移築したものである。 平成23年3月20日 長野市教育委員会



詩と歌の家 大島博光記念館

■大島博光記念館は長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめて2008年7月に完成、開館。大島博光の作品の展示・普及とともに地域の文化活動の場としても利用していただけます。 ●大島博光は信州松代生まれの詩人・フランス文学者。 戦前、四緑八十の下で詩誌「蝋人形」の編集にあたる。 戦後「フランスの起床ラッパ」をはじめ、アラゴンやエリュアールらフランスのレジスタンスの詩を紹介する。 詩人会議創立に参加、詩集「ひとを愛するものは」で多喜二・百合子賞を受賞。「ピカソ」「ランボオ」「パブロ・ネルーダ」「パリ・コミューンの詩人たち」「レジスタンスと詩人たち」等を著す。2006年1月没。 ■本館 展示室喫茶室       ホール(ピアノ付き貸し出し施設) ■別館  レストランはなや(50席)       和室10帖2室(貸し出し施設) URL http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/



大宮神社










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象山地下壕の休みについて
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